
基本情報
呼称・氏名の変遷
- 元々の氏名:中臣鎌子(なかとみの かまこ)
- 通称:中臣鎌足(なかとみの かまたり)
- 賜姓後の氏名:藤原鎌足(ふじわらの かまたり)※死の前日藤原姓を賜る
生没年
- 生年:通説では推古22年(614年) ※没年(56歳)からの逆算。ただし『藤氏家伝』は推古34年(626年)生まれと記す
- 没年:天智8年(669年)10月
- 享年:56歳
系譜
- 父:中臣御食子(みけこ)
- 母:大伴夫人(大伴咋子の女、智仙娘)
- 子息:定恵(長男、僧、白雉5年に遣唐使で入唐)、史(後の藤原不比等、次男)、大海人皇子に嫁いだ娘(氷上娘と五百重娘)。大友皇子に嫁いだ娘もいるという伝承があるが名前は不明
最終的な官位
大織冠と大臣位(内大臣)を賜った。『大織冠伝』では太政大臣を賜与したとあるが、これは後世の顕彰による述作とされる。
人物像
中臣鎌足は、7世紀半ばの激動期において、中大兄皇子(天智天皇)を終生にわたって補佐し、藤原氏という日本を代表する氏族の礎を築いた政治家。